ひょんなことから十数年無沙汰をしている郡山の友人のお宅を訪ね旧交を温めようということになった。そのきっかけが同じく40年近く前の同
銅鑼灣 Hair salon僚で、退職後の無聊か気迷いか突然「久しぶりに飲もうや!」と電話があって、横浜の居酒屋で旧友3人で飲んだ。
別段昔話に花が咲いたわけでもないが、私が唐突に旧同僚のAさんの近況を尋ねた。本来なら私の方が事情を知っていていい筈ずが、私は人に聞かねばならない程音信が絶えていた。訳などはない。ただ私の不精と個人的に精神的余裕のなさが齎
銅鑼灣 Hair salonした結果である。
「元気に、山歩きなどもされている」ということであった。もう、80になられたか…。お元気で何よりだ。多分私の方が先に逝くだろう…。昔、本当にお世話になった。家族を含めてお世話になった。個人的に苦しい状況にあった時、旅が私の荒びを和らげてくれた。その最初の宿が郡山のAさんの家だった。
12月の暮れ、雪の只見線に乗ったのもそんな時だった。一人列窓からみる世界は白と黒のモノクロ映画の旅の中にある錯覚と孤独の狭間にあったことを思い出す。あの時の礼を云ってなかった。私の体はそれを何時言えなくなるか分からない。云える間を見過ごしてはならない。
それが郡山への旅のきっかけとなった。Aさんと共に「旧交を温め、温泉で命の洗濯しよう!」。
飲み会での友も異論はなく、古株の私が交渉に当たった。
Aさんに話を待ちかけたら、郡山の家
銅鑼灣 Hair salonの泊まれというに決まっている。それでは今回の「旧交を温め、温泉で命の洗濯しよう!」にはならない。お世話の掛けっ放しの上乗せになってしまう…。
案の定、Aさんは「うちに泊まってくださいよ!」の一点張りである。どうしても承知してもらえず、困惑の果てに、図らずも一泊させてもらうことになった。人柄が良く、親切で、温情の厚いということは素晴らしいことだ。しかし、それが相手にとって負担になることがある。
歳を取ると片づけておきたいことがあるものだ。人の関係もその一つと思っているのだが、親しさが災いしてあの世に持っていかなくてはならないこともあると思い知らされた。